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質問72: イエスや『奇跡講座』との特別な関係について

facim q&a

私にとっては、心の中の神の愛の象徴はイエスです。そして私はこの象徴を、時には聖霊という象徴とも交互に用いて、自分の心の中の妨げ(不満)を直視する際に、一緒に居てくれるように頼んでいます。

 

私は 『奇跡講座』 を他人に押し付けるつもりはありませんし、誰もが自分で自分の霊性の道を選ぶべきだと、本当に感じています。けれども最近、インターネット上で、誰かが、『奇跡講座』 またはイエスを用いている者はみな、その両方と〈特別な関係〉を形成していると提言しているのを読みました。私は、それをそのように捉えてはいません。この件について何かご意見をいただけますか?

 

 

回答

私たちが、分離が実在するという信念をもっている間は、そして、肉体と同一化している間は、私たちの関わりのすべてが〈特別な関係〉として始まります。

 

・・自我が始める関係はどれもみな特別だからである。(T-15.VII.1:7)

 

『奇跡講座』においては、「特別」という言葉は、「私たちは肉体の中に居る分離した個人であるから不完全であり、それゆえ、完全になるために、自分の外側の人や物や出来事を必要としている」という信念を意味しています。

 

換言すれば、自分の中に何らかの必要があると知覚する者なら誰でも (つまり、これは 「ほとんどすべての人々」 ということになりますが)、自分のすべての関係に〈特別性〉をもち込む、ということなのです。「〈特別性〉を抱いて他者と関わる」ということをしないのは、〈贖罪〉を自分に受け入れた人たちだけです。

 

イエス(または聖霊)が、心の中の神の愛の記憶を象徴しているという意味で自分とは異なる存在だと知覚されているならば、その事実自体が、彼を特別な存在にしています。

 

真理においては、私たちは神の記憶の象徴たちとひとつであるだけでなく、天国のわが家に居て、神とひとつです。特別でないものというのは、この一なるものだけです。

 

理解を明確にするための助けとして、「特別」という言葉を、「分離している」という言葉に置き換えてみると、わかりやすいかもしれません。分離感や差異が知覚されるところには、必ず〈特別性〉が存在します。それは、分離を信じているなら、絶対に避けることのできない結果です。

 

『奇跡講座』が「聖霊は誰も特別ではないと知っている」(T-15.V.5:1) と言うとき、それは、誰も分離していないということを意味しています。また、何かや誰かを必要としてはいない、ということも意味しています。私たちが自分の心の中の聖霊と完全に同一化するとき、私たちはもはや聖霊とも、イエスとも、あるいは 『奇跡講座』 とも、〈特別な関係〉をもつことはなくなります。なぜなら、私たちはもはや自分が分離しているとは知覚しなくなるからです。

 

それまでの間は依然として、私たちは自分のことを、不完全で、〈贖罪〉を受け入れるための助けを必要としている者と知覚します。そして、あらゆるものと〈特別な関係〉を築きます。

 

繰り返しますが、その理由は、「自我が始める関係はどれもみな特別だから」(T-15.VII.1:7)です。このことを認識することによってのみ、諸々の〈特別な関係〉は、それらを変容させるために聖霊が用いる〈教室〉となることが可能になるのです。

 

私たちは、はじめは必要という感覚から 『奇跡講座』 やイエスに頼ります。それにより 『奇跡講座』 もイエスも、確かに特別なものとなります。このことを認識することが必要です。それを認識することにより、私たちは、他のすべての人々との関係だけでなく、このコースやイエスとの関係も、変容させられるようになるのです。もし私たちがこのことを否認するなら、私たちは、自分が抱いている必要や不完全性の感覚の根底にある信念を直視する機会を自分自身に拒み、それにより、それらを癒しの力に預けずにおくことになってしまいます。

 

私たちは、最後には、「自分には必要というものがない」ということを学ぶでしょう。それまでは、「このコースは始まりであって、終わりではない」(W-ep.1:1)ということを覚えておくことです。イエスは、私たちが、「しっかりと健在する〈特別性〉」を携えて、彼に頼ってくることをよく知っています。

実際、彼は私たちに、彼を赦さなくてはならないと告げています。

 

だから今日、私を赦してほしい。兄弟を聖性の光の中に見るとき、あなたは自分が私を赦したと知るだろう。 彼が私よりも神聖でないということはありえず、あなたが彼よりも神聖だということもありえない。(W-pII.288.2:1-3) 

 

私たちが自分自身をイエスとは違っている ー つまり、彼から分離している ー と知覚している間は、私たちは彼との関係の中に〈特別性〉をもち込んでいます。だから、私たちの間違った信念のゆえに「彼を赦す」必要があるのです。

 

 

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