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質問54: 「自分を防衛するなら、私は攻撃される(W-pI.135.)」について

facim q&a

私は今、 『奇跡講座』 の二度目の通読に取り組んでいるところですが、レッスン135がよく理解できません。

ここで言われていることは、もし誰かから物理的に、または言葉により攻撃されたとしても、ただ何もせずにいるべきだ、という意味なのでしょうか? 他人によって物理的に「叩きのめされる」のを、容認すべきだということなのでしょうか? 

私には、これがこのレッスンの意味していることだとは思えません。ただ、この解釈で正しいかどうかを確認したいのです。たとえば、武術を練習することなどは、このコースの教えと相いれないことなのでしょうか?

 

回答

レッスン135の 「自分を防衛するなら、私は攻撃される」 については、あなたの言われる通りです。それは、自分が叩きのめされたり、虐待されたりするのをあなたが容認すべきだとか、誰かが虐待されているのを止めもせずにじっと見ているべきだ、といったことを意味してはいません。

 

これは、『奇跡講座』 全体の中でも、最もよく誤解され、誤用される概念の一つです。

覚えておくべき重要なことは、このコースは、決して、行動について述べてはいないということであり、このコースを実践する際には、決して常識を抜きにして考えてはいけない、ということです。このコースは常に、私たちの心の中にある内容に焦点を合わせています。

 

ですから、あなたは正しい心の状態にありながら、他の人があなたを殴ろうとするのを力ずくでやめさせることが可能ですし、間違った心の状態にありながら、同じことをすることも可能です。また、あなたは正しい心の状態にありながら、何もせずにいることができますし、あるいはまた、間違った心の状態にありながら、何もせずにいる、ということも可能です。

 

もし私たちが、自分の自我を一瞬のあいだ超えることができるなら、そのとき、私たちは何をしても、しなくても、「正しい」ということです。

 

このコースが、その全体を通して常に私たちに教えていることは、自我の思考体系か、または聖霊の思考体系か、二つのうちのいずれか私たちが選んだものが、私たちの思考の出発点となる、ということです。そして、このレッスン135では特に、「自分自身が攻撃されたと知覚し、自分を防衛する必要があると感じるときは、私たちは必ず、恐れていて傷つきやすいという自己概念を強化しているし、自分を一個の肉体として見ていて、神に創造されたままの者とは見ていない」ということを教えています。

 

私たちは恐れているときにのみ、防衛が必要になります。これは役に立つ情報です。というのも、それは、自分がどちらの思考体系と同一化しているかを知らせてくれるからです。

 

しかし、私たちは、単に自分が虐待されたり、何らかの形で踏みにじられたりするのを容認することにより、自分の誤った自己概念を訂正することはできません。そうしたことにより、私たちが霊的に成長することはありません。それはちょうど、自分は傷つかざる存在だと信じて自分の家のドアからすべての錠前を取り去ったり、保険を解約したりすることによって、私たちが霊的に成長するわけではないのと同じです。私たちが自分自身を肉体として経験している限り、肉体がもつ物理的必要と心理的な必要の両方に応じることや、それらを尊重することは必要なことです。

 

このコースは、癒された心の観点から私たちに語りかけています。癒された心とは、肉体やこの世界が完全に実体のない幻想であることを、確信をもって知っている心です。

 

そして、このコースが私たちに勧めていることは単に、次の通りです。癒されていない心をもつ私たちは、自分が同一化することを選んだ思考体系に、しっかりと注意を払うべきであること、そして、イエスまたは聖霊の目を通して、この世界が本当はどのようなものであるか、それが目的としているのは何であるかを見ることができるように、助けを求めるべきである、ということです。そのようにするとき、私たちには、別の選択をするための基準があるということになります。このコースが私たちに気づかせようとしていることは、誰の中にも生来の恐れというものがあるということ、そして、それは、この世界や肉体の中にある敵対的な要素から来るものではなく、自分の心の中から来ているということ、そして、そのような敵対的な要素といったものはすべて、私たちを心から離しておこうとする自我の戦略の一部にほかならない、ということです。

 

私たちの心の中にある恐れや罪悪感に対する防衛は、不要なものです。恐れも罪悪感も自我により作り出されたものだからです。私たちが求めるべきものは、罪、罪悪感、恐れという自我の思考体系と同一化することを間違って選んだ自分の選択を訂正するための助けのみです。そして、自分自身を傷つきやすい者や攻撃されている者として経験するたびに、私たちは自分自身がその間違った選択を下したということを察知します。繰り返しますが、それは、武術の使用を含めて、この世界において適切とされる何らかの方法で、自分を保護することをしない、という意味ではありません。

 

最後に、このレッスンは、私たちが一切の計画をすべきではないと、言っているのではありません。ここで言われていることは、私たちは内なる教師に最初に相談すべきだということです。なぜなら、癒されていない心をもつ私たちは、自分にとっての最善の利益も、あるいは他の誰かの最善の利益も、まったくわかっていないからです。

 

私たちはまた、自分の問題とは何かを知っていると思い込んでしまわないようにするためにも、警戒していなければなりません。それは、私たちが自我の罠にはまり込み、イエスまたは聖霊に対して、彼らが私たちの問題をどのように解決すべきかを指示する、などということにならないようにするためです。それよりも、私たちのエネルギーや努力は、〈赦し〉のための助けを求めることに注がれる方が、よほど役に立ちます。それだけが、愛のために語る声を真に聞けなくしている障壁を取り去るからです。その声がもつ叡智は私たちのすべての言葉や行為において、私たちを優しく導きます。罪悪感が問題であり、〈赦し〉が答えです。これ以上具体的に考える必要はありません。

 
 [2012年7月31日]

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