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質問49: どうすれば、ぞっとするような恐ろしい行為を赦せるのか

facim q&a

ぞっとするような恐ろしいことをする人々を、私はどのようにして赦せばいいのでしょうか? どのようにすれば、人を撃ち殺すような狙撃犯を赦せるのでしょうか? これは実在していることなのではないでしょうか? これが、「真の問題から注意を逸らそうとする自我による試み」だというのですか?

私はまた、実在するものをも恐れています。特に「何にもまして、私は真に見たい」〔訳注〕と言うときには怖くなります。私たちが創造したこの世界を放棄しようとしても、私にはなかなかできません。私は自分が創造したものを愛しています。(たとえば、自分の家族などです。)自分の実相へと戻るためには、私は死ぬ必要があるのではないでしょうか? そのとき、私は孤独になるのではないでしょうか?

〔訳注〕「ワークブック」レッスン27の主題概念。

 

回答

『奇跡講座』が私たちに教えている〈赦し〉というのは、たとえば狙撃犯により人が殺されたといった何らかの状況を見たとき、「この出来事は、私が何を信じていると、私に教えているのだろうか」と、自分に問いかけるプロセスのことです。

 

そしてこのプロセスは、そうした殺人事件に対して自分が示す反応を、正直に見つめることから始まります。つまり、被害者や加害者について抱くあらゆる種類の感情や裁きの気持ちといった自らの反応を、ありのままに見るということです。こうしたすべての感情や想念は、自我の思考体系の奥に隠れている様々な信念を露見させるのに役立ちます。それはたとえば、この世界は実在する、私たちは肉体である、私たちが死と呼んでいるものが私たちが「生命{いのち}」と呼んでいるものの終焉である、私たちは攻撃によってすぐに傷つく・・・・などといった信念であり、こうした信念のリストは数限りなく続いていきます。

 

次にこのコースが私たちに求めていることは、「こうした一切は私たちが自分自身について抱いている感情や想念を、その被害者や加害者の上に投影したものにほかならない」と認識することです。そうした出来事が私たちの中に苦痛とともに引き起こす感情や想念は、それ以前からすでに自分の中にあったものだということを、私たちは学んでいるのです。その出来事は、単に、私たちにそうした感情を引き起こすかに見えただけなのです。だからこそ、このコースは、私たちは兄弟を、彼らが行わなかったことについて赦すのだと言っているのです。

 

「神の子がしていないことについて、神の子を赦そうとする意欲をもちなさい。」(T-17.III.1:5) 

 

狙撃犯が私たちの感情を生じさせる原因だったのではなく、私たちの間違った信念がそうした感情の原因だったのです。もし私たちが、どのような状況もすべてこのような観点から見ようという気持ちになれば、私たちは自我の嘘に対し疑問をもつようになってきます。そのときはじめて、私たちは別の見方を求めようとする地点に立っていることになります。

 

これを実践するのは、時に非常に難しいことです。訓練を要しますし、きわめて正直であることが求められます。けれどもこれ以外に、自分自身に多くの苦痛をもたらす思考体系に私たちを固着させている様々な信念に、私たちが触れる方法はありません。そうした苦痛は、自我の嘘を信じることから来ているのであり、外的状況(つまりこの場合は、その殺人事件)から来ているのではないのです。

 

重要なことは、これを練習する際には、自我による恐れや憎しみの世界の中の極悪非道な出来事について自分が抱くどんな感情や想念も否認しないことであり、私たちの日常となっている自我の見方に異議を唱える新しい思考体系を、無理をして自分に受け入れさせようとしないことです。そのようなことをすれば、私たちは自分の間違った見解にしがみつき、さらなる恐れを抱くようになるでしょう。もし私たちが、「もしかしたら、私はこれについて間違っているのかもしれない」と認めることをよしとするなら、私たちの作り出した世界〔原注〕も、自分の「愛する」人々を含むすべての関わりも、「真の問題から私たちの注意を逸らすもの」とはならず、自分の経験するすべてについて、聖霊による解釈を学ぶための〈教室〉となります。

〔原注〕 『奇跡講座』は、自我の世界には「作り出す」という言葉を使用しています。「創造」という言葉は、〈一なる心〉のレベルにおいて神が愛を延長させるというときにのみ使用されています。

 

このコースはまた、聖霊は私たちのどんな〈特別な関係〉も私たちから取り去ることはせず、その代わりにそれらに別の解釈と別の目的を与える、と教えています。〈特別な関係〉がなければ、私たちが、自分についての間違った信念や、私たちを深い眠りの中につなぎ止めている判断/裁きに気づくことはありません。私たちは自分を、幻想よりも「実在するもの」の方を怖がる者にしてしまいました。だからこそ、私たちには、新しい考え方に向かって一緒に少しずつ歩んでいこう、とってくれる内なる教師が与えられているのです。

 

私たちがイエスあるいは聖霊と一緒にこれを行えば、私たちは孤独になることも、死ぬこともありません。最後には、自分は単に夢を見ていただけだと認識し、死の想念をもたず、死ぬ必要もなく、私たちは夢から完全に目覚めるのです。それまでの間は、〈赦し〉の一歩一歩が私たちに、より大きな平安をもたらし、私たちは自分自身についての真理へ近づいていきます。そしてその真理の中では、あらゆる人が自分の家族の一員となりますし、私たちはどんな損失の感覚も経験しないことでしょう。

 

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