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質問48: どうすれば、神に到達できるのでしょうか?

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どうすれば、レッスン41が述べているように、神に到達することができるのでしょうか?

私はまったく宗教とは縁のない環境に育ち、『奇跡講座』に出会うまでは、どんな形であれ、神というようなものにはまったく「関わった」ことがありませんでした。でも、このコースに出会えたことには本当に感謝しています。

今、私はワークブックのレッスン41「私がどこへ行こうとも、神が私とともに行く」で、行き詰まって います。この概念に魅せられてしまって、すでに1週間近くこのレッスンをやっているのですが、指示された通りに一生懸命に練習しているのに、まだ全然、神に「到達」してはいません。このレッスンは「神に到達することは可能である」と述べているというのに・・・。

このレッスンにはまた、「あなたがそれが可能だと信じるなら、道は開かれるだろう」(8:4)とも書かれてあります。私はそのように信じたいと思っていますが、どうすればそれができるのでしょうか?

 

回答

このレッスンの内容を別な形で言い換えるなら、「分離は一度も起こっていないし、私たちは今も神と共にあり続けている」ということです。私たちは真実には、他のどこにも存在することはできず、だからこそ神は私たちと共にあるのです。しかしながら、このレッスンの五段目の最初に、次のような、非常に重要なメッセージがあります。

 

あなたがこのすべてを信じていないということは、わかっている。(W-pI.41.5:1)

 

つまり、この一つの記述だけで、イエスは「ワークブック」の練習時にほぼ全員が経験する「行き詰まり」について説明しているのです。

 

ですからこのレッスン41の最初のゴールは、私たちが、そこで言われていることを信じていない、ということを自覚できるように助けることにあります。

 

私たちは、対比により、自分がどれほど自我を信じていて、どれほど聖霊を信じていないかを学びます。そしてそれが「ワークブック」がもつ重要なゴールの一つです。

 

その学びのプロセスに必須の部分が、まさにあなたが述べておられるようなジレンマに至ることなのです。つまり、このコースのメッセージは私たちを感動させますが、一生懸命に練習しても何も起こらず、それにも関わらず、私たちはそれが達成できると保証されている、というジレンマです。

 

このような状況の有用性は、そうした抵抗の激しさと、自我の思考体系への執着の全容をしっかりと味わえる点にあります。この明確な認識なくして、真の進歩はあり得ません。なぜなら、自我が最も得意とするゲームは「否認/否定」だからです。自我の存命は、肉体が私たちの真のアイデンティティーだと信じることにかかっています。そして、その信念は、もとをただせば、心がもつ選択の力を否定することと、心の存在そのものを否定することを土台としています。

 

「テキスト」の最初の方では、次のように教えています。

 

心がもつ本当の力の真価を味わい知る者はわずかしかおらず、それを完全に自覚し続けている者はひとりもいない。しかし、あなたが恐れを免れたければ、いくつか理解すべきことがあり、しかもそれらは充分に理解されなければならない。心は非常に強力であり、その創造的活力を決して失うことはない。 (T-2.VI.9:3-5)

 

神が自分と共に居ることを体験するのは難しいと実感することは、心の中で、分離の実在性を信じる選択をした部分、すなわち、自我の思考体系と同一化することを選んだ心の一部を認識するための一つの方法です。その選択が、この世界を作り出し、私たちが肉体を実在のものとして経験することを可能にし、それによって神を実在しないもののように見せているのです。心は、分離の想念と神の想念の両方を同時に保持するということはできません。ですから、自我/肉体との同一化と、この選択にまつわる罪悪感とにより、神の記憶が、私たちに自覚できないものとなっているのです。実は、それは神に対する攻撃なのです。

 

自我が分離の象徴であるなら、それはまた罪悪の象徴でもある。罪悪とは、単に神から生じたものでないというだけのものではない。それは、神に対する攻撃を象徴するものである。(T-5.V.2:8-10) 

 

罪悪感がなくなったとき、そこには神が居ます。

 

罪悪感は、〈赦し〉のプロセスを通して取り消されていきます。そして、そのプロセスは、罪悪感の投影という原理に照らしながら、自分の生活の中で自我を正視しようとする意欲から始まります。『奇跡講座』のこの重要な原理は、この世界で私たちが経験するすべては、分離することを選び、肉体と同一化することを選んだことで抱く罪悪感を、心が投影していることの結果であると、私たちに教えています。これが意味しているのは、自分がどう感じているかについては、自分の心の外側にあるいかなるものにも責任はない、ということです。

 

すべての関わりをこのように眺められるようになるには、忍耐強い練習が必要です。なぜなら、私たちは自分の対人関係やこの世界において自分が経験することをそのように解釈することを、自分に教えてはこなかったからです。そのような見方を学ぶことで、私たちは、自分の現状は他者のせいではなく、彼らは無罪だ、ということを学びます。他者を無罪と見ることが、自らもまた無罪だと学ぶ方法です。そしてそれが、自らが神の子であり、神が自分と共にあることを思い出すための道を開きます。

 

「ワークブック」のレッスンを練習するための指示においては、私たちがレッスンが述べていることを信じることを求めていませんし、練習を完璧にこなすことも求めてはいません。ただ、とにかく私たちがそれを練習することだけを求めています。(参照 W-in.8-9)

 

重要なのは、自分がそれらを信じていないことを正直に認識すること、そしてそれから、このコースが示す真理を恐れている自分を赦すことです。

 

もし私たちが神が自分と共に居ると真に知っていたなら、このことに関して「ワークブック」もこのコースも必要としていなかったはずです。

 

この真理を自分は体験していないということに、あなたが気づくようになったという事実は、「ワークブック」のレッスンがもつ重要なゴールの一つを、あなたが達成したということを意味しています。つまり、あなたは、自我から学んできたことと、このコースの中で聖霊があなたに教えていることとの対照的な違いをしっかりと味わっている、ということです。そうすると、自我の学びを白紙に戻し、その代わりに聖霊のレッスンを学ぶために、自分がどれほど聖霊の助けを必要としているかを、あなたは実感します。

 

毎日のレッスンをできる限り真摯に練習していくこと、それだけで着実に進歩していくに充分なのです。それだけがあなたが行うよう求められていることです。それをする中で、その道が開かれます。なぜなら、そうすることが、心の中の確かに信じている部分を反映し、それを強化するからです。

 

 

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