質問35: 仏陀とキリスト、悟りと記憶喪失
仏陀とキリストは同じですか? それから、「悟り」は、記憶喪失のようなものだと言えるでしょうか?
回答
『奇跡講座』の観点から言えば、仏陀とキリストの相違は、キリストは、「とこしえに神ご自身と同質で、神とひとつである完全無欠な神の子、神の一なる被造物、神の幸福」 (C-5.3:1)であるものとして、常に天国で神の一部であり続けている、ということです。
仏陀は、他の覚者たちと同様に、分離という夢の中にある癒された心の象徴と見なすことができると思います。つまり、分離していた心が〈贖罪〉を受け入れていて、分離は幻想だと知っている、という状態です。
一方、キリストは幻想の一部となったことは一度もありません。それでも私たちは、心の中に(つまり、正しい心の中に)、キリストとしての真のアイデンティティーの記憶を保っています。ですから、「悟り」というのは、思い出すことであって、忘れること(記憶喪失)ではありません。ただし、真実ではないすべてのことを忘れるという意味であれば、そういう言い方ができるかもしれません。
イエスは、「ワークブック」の中で「悟り」について、彼の考えを次のように述べています。
なぜ天国を待ったりするのだろう。光を探し求める者は、単に目を覆っているにすぎない。その光は今、彼らの中にある。悟りとは認識にほかならず、変化のことなどではない。光はこの世のものではなく、自らの内に光を抱くあなたも、ここでは異邦人である。その光は、あなたの生家からあなたとともにやってきたものであり、あなたのものだからこそ、あなたとともにとどまっている。それだけが源なる神からあなたが携えてきたものである。それはあなたの家を照らすのであなたの中に輝き、それが生まれたところ、あなたがくつろげるわが家へと、あなたを連れ帰る。 (W-pI.188.1)