質問17: 進歩がないように見えることについての質問
奇跡講座』を学べば学ぶほど、私には自分が前進ではなく後退していると思えてくるような気がします。私の心は、以前よりもずっと騒々しくなっているのです。なぜなのでしょうか?
回答
そのことに関して、『奇跡講座』には、次のような役に立つ見解があります。
あなたには進歩と後退の区別もつかないのだから、自分でその計画[智識に目覚めること]の責任者になろうとしてはならない。あなたは自分の最も大きな進歩のいくつかを失敗だと判断したことがあるし、最も深刻な後退のいくつかを、成功だと評価したこともある。
(T-18.V.1:5-6)
実は、本当に私たちは、自分が進歩の道程のどの辺りに居るのかわかっていないのです。自分が前進しているのか後退しているのかということすらわからないのです。このことを覚えておくことが、このコースの学習には重要です。そうすれば、自分自身を裁いたり評価したりすることに多くの時間や努力を浪費しなくてすみます。
あなたの心の中で前よりも大きくなったように思えるという「騒音」は、おそらく、『奇跡講座』を学び始める以前からすでに存在していたはずです。その時と今の違いは、今では、あなたはそれを自覚しているという点です。今では、あなたは、自分には心があるということ、そしてそれは騒々しい心であるということを知っています。そして、それこそがまさに、このコースが私たちに学ばせようとしていることなのです。
私たちが練習を始めるにあたり、まず学ぶことになるのは、私たちが自分の中の騒音を、聖霊の「静かなる細き声」(T-21.V.1:6)をかき消すために用いているという事実を、自分で否認しないようになることです。否認は、自我としての私たちが用いる防衛戦略の一部ですから、自分の心の騒音が聞こえ始めるということは、否認を取り消すことの始まりです。私たちがこのコースに真剣に取り組むようになるにつれ、私たち自身の抵抗のゆえに、私たちの中の騒音は、実際のところ、前よりも大きくなるように思えることがあります。
私たちの中で自我と同一化している部分は、自分が学んでいる事柄によって脅かされると感じるので、様々な形で戦いをしかけてくることになります。その一つが、騒々しい心です。それは、自分は「前よりもひどくなっている」と私たちに耳打ちするわけですから、これもまた、真理を探求することをやめるよう私たちを説得しようとする自我の企みの一つです。
私たちの課題は、自分の心の中のそうしたつぶやきに注意を払い始めることです。というのも、それらは、自分が何を信じているかを教えてくれているからです。そもそもこのコースが心の訓練を重視する理由は、私たちの心の中に潜み、私たちに罪悪感や恐れを抱かせている想念、価値判断、信念、虚偽といったものを、明るみに出すためです。
ここで喜ぶべきことは、「神を代弁する静かなる細き声は、それを聞きたい者たちにとっては、自我の金切り声や無意味なわめき声のすべてによっても、かき消されることのないものである」(T-21.V.1:6)ということです。私たちが自分が抱いているすべての反論に耳を傾け、その上でそれらを赦したとき、私たちは聖霊からの励ましを聞くようになるでしょう。
[2010年5月11日]