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質問115: 昇給を要求することは間違っていますか?

facim q&a

 私は自分の雇い主との関わりにおいて、正しい心と間違った心をうまく識別できません。「教師のためのマニュアル」で説明されている寛大さ、寛容さ、忍耐などの原則を実践しようとしているのですが、私の給料に関して彼と話し合うことが難しい状況です。私の賃金は彼の気まぐれにより上下するため、私は自分が無力であり、正当な支払いを受けていないと感じています。私が自分に支払われて当然と思えるだけの金額を要求したら、仕事を失うことになるのではないかと恐れています。私にとって金銭は全てではありませんが、『精神療法』には、”癒されていないヒーラーは、聖霊ならば金銭を要求するように導かないような場面で金銭を要求することがある”というようなことが書かれていたと思います。

 

自分があらゆることを恐れていて、常にどこかに落ち度があるように思えています。これが<特別な関係>にまつわる苦痛というものなのでしょうか? 私は「良い人」になろうとしすぎているのでしょうか? 聖霊による真の導きを恐れて、自我の手を取りながら、『奇跡講座』の原理を適用しようとしているのでしょうか? 私は逆行型の貧困に陥っていて、それが偽りの寛大さとなって表れているのでしょうか?

 

 

回答

『奇跡講座』を学ぶ際には、このコースは私たちに対して、複数の異なったレベルにおいて語りかけているということを覚えておくことが重要です。私たちは、自らが同一化している自我の思考体系を取り消すことを学んでいますが、同時にまったく新しい知覚の仕方を学んでいます。まるで二つの世界のどちらにも片足ずつ置いているようなもので、これは大きな混乱をもたらすものとなりえます。

 

間違った心は、問題を、”外的な何かにより引き起こされた、心の外側にあるもの”と見なします。そして、この場合は、あなたの雇い主がその「外的な何か」に該当します。正しい心は、原因は心の中に存在し、形態の世界はその結果であると認識します。心の外側の状況や物事を非難することはしません。心のどちらの部分が選択されているかを判別する簡単な方法は、「自分の動揺の原因を自分以外の何かのせいにしているか否か」を自問することです。これが、正しい心と間違った心を区別する単純なやり方です。どんな動揺についても原因は心の中で為された選択だと認識することから、正しい心による思考が始まります。それが全てではありませんが、それが始まりです。

 

私たちは依然として、”自分は分離していて、この世界の中の個々の肉体である”と信じていますから、それに応じる形で、この世界や対人関係に対処しなくてはなりません。肉体の中に知覚される必要を満たすために行うべきことは行い続けます。雇い主との間で給料について合意できるように話し合うことは、何ら悪いことではありません。あなた自身にとって正当な給与と感じられる金額を正直に表明してもかまいませんし、もし可能ならば、あなたの給料が突然に上がったり下がったりしないように、金額の変化の予定表を要請することもできるでしょう。これは、私たちが肉体を維持するために行う様々な事柄と何ら違いはありません。『奇跡講座』は、形態レベルにおける行動についての指針はまったく与えていません。そうではなく、このコースは、私たちが自分の心の中で自分自身や他者に対して抱く想念や裁き/価値判断を、明るみに出すようにと教えているのです。そうすれば、心が癒されることが可能になるからです。そしてその時に初めて、その癒された心から、「マニュアル」に描かれている神の教師の特徴が自然に流れ出てきます。それらの特徴は、それらを阻むような信念がまだ背後に存在しているときに、「訓練」や「練習」をするよう意図されているものではありません。

 

『奇跡講座』の実践は、あなたの雇い主との関係やあらゆる人々との関係の中で作動している隠れた信念を、全て見つけ出すことの中にあります。それらが分離や欠乏や犠牲を信じる信念であり、実際のところ、それらが私たちの関係のすべてを<特別な関係>にしているのです。特別性を取り消す方法は、それらを認識することで明るみに出し、聖霊の元に運んで変容させてもらうことです。私たちは、例えば世俗的な富には無関心であることとか、その他の「高潔な」心構えといったような、実際には自分が持ち合わせてもいない神聖な特性を発揮する練習をするよう求められているのではありません。私たちは、「良い人」であることなどまったく求められていないのです。(とはいえ、道を踏み外して「悪」に走ることが求められていないことはもちろんです。) ”自分の諸々の信念を変容させてもらいたい”という意欲をもって直視することだけが、私たちに求められています。

 

それは、必ずしも見かけほどたやすいことではありません。私たちには、それにしがみついていたいという強い願望があるからです。これらの信念に対する自分の執着と、それらが変化させられることを自分がどれほど望んでいないかということを、自分で自覚できるようになることが必要なのです。それらが罪悪感と苦痛を引き起こしているにもかかわらず、私たちはそれらにしがみついています。実際のところ、その罪悪感と苦痛があるからこそ、私たちはそれらにしがみつくのです。これが『奇跡講座』が罪悪の魅力と呼んでいるものです。

 

「罪悪の病んだ魅力は、その正体のままに認識されなければならない。なぜなら、それはあなたにとって実在するものとされてきたので、それをはっきりと見て、それに注ぎ込んでいた思い入れを撤回することにより、それを手放せるようになることが、きわめて重要だからである。」(T-15.VII.3:1,2)

 

これが、聖霊が与える導きです。そこには聖霊の思考体系の押し付けはありませんし、この世界の中で必要とされる行動というものもありません。金銭や貧困や不正義などについての不安の背後にあるのは、「神からの分離が真に達成された」という信念からくる欠如と剥奪の感覚です。この根源的な信念こそが、聖霊が私たちに疑ってみるようにと促しているものです。あなたと雇い主との間の軋轢の根底にあるのが、その信念です。あなたが給料のことで合意に達するために雇い主と話し合う際には、あなたが感じていることや、生じてくる裁きの想念などについて自分に正直になることにより、『奇跡講座』の教えを適用することができます。

 

これらの想念や感情は、自我の思考体系と同一化するという心の中の選択を表しており、そこが癒しが必要とされている場所なのです。それらは、聖霊の光のもとに運ばれると次第に変容していき、聖霊の平安へと入れ替わっていきます。そのときはじめて、程度の差こそあれ金銭の問題はどうでもよいこととなり、寛大さ、寛容さ、忍耐が、すべての恐れに取って代わることになります。その地点に到達するまでは、知覚される自分の必要について自分自身に正直であることや、合意を探る際に雇い主に対し正直であることなどが、『奇跡講座』の教えを練習する最適の場です。合意が可能だと信じるということがすでに、あなたと雇い主の間に「別々の利害はない」ということが、ある程度まで認識されているということです。そして、それが癒しの始まりなのです。

 

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