質問127: ニコチン中毒からの解放
私は自分のニコチン中毒を克服したくて、長年の間、考えられる限りのあらゆる方法を試してきました。けれども、最近の試みが失敗に終わったあと、私はもう、二度と再び自分をこのような苦渋に追い込むのはやめようと、決心しました。禁煙は諦めて、残りの人生はずっと喫煙者のままでいようと決めたのです。
ところが、ある朝、私はいつもの時間に目を覚ましたとき、まだ目は閉じたままだったのに、何かが非常に違っていました。まるで天国にいるかのように感じたのです。それまで経験したことのない深い安らぎと静けさに包まれていて、自分は死んだのではないかと思ったほどです。まるで、私から自我が取り去られたかのようで、「自分は無であると同時に、全てでもある」と感じていました。目を開けると、すべてが全くいつもと違って見えました。ぴかぴかに澄みきった輝きに包まれていながらも、眩しすぎることはなく、何一つとして、物理的な現実のようには見えませんでした。そのとき、何の渇望も欲求もなく、タバコについて考えることさえしませんでした。時間が経ち、私が自我モードに戻っていくにつれて、その平安は去っていきましたが、その後もずっと、私はタバコには関心がなくなっています。
今では、自我を遥かに超える何らかの力が、私の眠っている間にニコチン中毒から私を解放してくれたのだと本当に信じています。 私のこの奇跡について、『奇跡講座』の教えに沿って説明していただけませんか?
回答
あなたの体験とは矛盾するように聞こえるかもしれませんが、『奇跡講座』は、あなたが述べておられるような出来事を、聖なる存在からの介入によるものとは見なしません。
『奇跡講座』の形而上学的理論は、神はこの世界とは何の関わりもないということを明白に述べています。(参照: T-11.VII.1、W-pI.166.2、C-4.1)
私たち自身の心が、私たちの経験の形を決めるのです。(参照:W-pII. 325, 1:1-4)
ただし、以上のことは、あなたにとって非常に強烈だったこの体験が、「神からあなたへの愛」の反映だったかもしれないということを、否定するわけではありません。
そうは言っても、自分が体験しているとあなたが感じている諸々の出来事は、ニコチン中毒からの解放も含めて、あなた自身の心が設定したものなのです。それは、「夜、睡眠中に見る夢の中の出来事は、あなた自身の心が決めている」というのと、よく似ています。
あなたが意識していないレベルにおいて、あなたの心が、葛藤よりも平安を受け入れるという選択をしたのです。この選択が、部分的には、「自分のニコチン中毒と戦うのはやめる」という意識的な決断として表れたかもしれません。そして、目を覚ました時にあなたが経験した無我の境地が示唆しているのは、あなた自身が、「恐れの無い状態」に充分に入っていけるようになることを、自分自身に許可したということです。そして、その「恐れの無い状態」に入ったことによって、単一で非物理的であるという心の属性と、この世界と肉体の幻想性という属性 – これが、『奇跡講座』の教えの根幹を成すもの – を象徴的に表わす出来事を経験できるように、あなたの心が開かれた、ということなのです。
そのような状態においては、個人的な必要は存在しません。(T-28.I.3:2)
以上のような認識が、タバコとの関連でご自身の日常生活にも現れたということは、あなたはもはや、ニコチンによって象徴されていた「愛に対する抵抗」を、自我による無数の愛の代替え(T-16.V.12) の一つとして持ち続ける必要がなくなった、ということを意味しています。なぜなら、特定の形に対する中毒を設定するのは、心による決断だからです。ですから、その特定の中毒を手放すのも、心による決断なのです。最終的に私たちの全ての恐れや罪悪感がなくなったときには、私たちは自分が真に探し求めている愛の代用として、自我による代替など必要としなくなります。
あなたの体験は、『奇跡講座』が私たちをどこに導いていこうとしているのか、そして、私たち全員がどこに向かって進んでいるのかを、垣間見せてくれたと言えます。
[2021年1月24日]