質問124: なぜ、平安を探そうとすればするほど困難に陥ってしまうのか
私が知りたいのは、「『奇跡講座』のいろいろな概念を理解し始めて、〈赦し〉を実践し、内なる光である聖霊に触れるようになると、なぜ、形態の世界に対処することが非常に難しくなるのか」ということです。
私は平安に満ちた内なる世界を経験するようになった一方で、外側の物質的な(存在していないはずの)世界においては困難な状況を通過しています。
神の平安を見出しながら、この世界の中でも活動するには、何をしたらいいのでしょうか? どうすれば、聖霊の眼差しでこの世界を見て、このように意地悪な自我とその攻撃に対応しなくてすむようになるのでしょうか? 私の場合は、こうした攻撃は、以前には経験したことのないような経済的困難という形でやってきています。
回答
初めて『奇跡講座』に出会った時点では、私たちのほとんどが、自分がどこに通じる扉を開けようとしているのかを理解していません。それは、私たちの心の中の、鍵のかかった「罪と罪悪感の保管所」(T-31.V.6:6)へと通じる扉なのです!
私たちは、自分が求めているのは単に、「内なる愛と平安の教師」につながることによって、この世界においてもっと平安と愛に満ちた経験ができるようになることだ、と思っています。一つのレベルにおいては、それは真実ですが、そのような平安を経験するようになるためのプロセスには、〈赦し〉というものが関与しています。そして私たちの誰一人として、最初は、〈赦し〉について真に理解してはいません(S-2.I.1)。というのも、私たちは、自分の人生に登場するすべての「悪者」をどのようにして赦すかを学んでいくことになると思っているからです。でも、本当は、赦すべき「悪者」は一人しか存在せず、それは自分自身である、ということを、私たちは認識していません!
私たちに平安がない理由は、私たちの外的生活環境とはまったく関係ありません。それに関係があるのは、自我および内なる「罪・罪悪感・恐れや欠乏感」という自我の思考体系と同一化すると決めた私たちの選択だけです。けれども、私たちのほぼ全員にとっては、直接、内側を見るということはあまりに恐ろしいことなので、『奇跡講座』のプロセスは、間接的なプロセス(T-14.I.3-5)となっているのです。
私たちは、自分の外に存在しているように見える「世界」と呼ばれるスクリーンの上に、自我が心の中から投影したものを眺めます。私たちの外側の外的な問題がどれほど実在しているように見えようとも、このコースは、「問題は、唯一、これらの状況についての私たちの解釈である」(M-17.4:2)という認識へと、私たちを導いていきます。そして、その「解釈」とは、「自分の罪と罪悪感」が実在しているという私たちの信念から生じていて、私たちはその罪ゆえに自分は処罰に値すると信じています。
そこから、レッスンが始まります。でも、それは聖霊に手配されて始まるというようなものではなく、私たちが自分自身の心でそれを自覚することによって始まるのです。それによって、内なる罪悪感の汚点が、心の奥の暗い窪みの中に隠れて認識されないまま腐蝕し続けていく代わりに、今度は、癒されることが可能になります。
私たちのゴールは、自我や自我の攻撃を避けることではなく、一つひとつの難しい状況が私たちに提供してくれる癒しの機会を、歓迎できるようになることです。ですから、一つの人間関係が、突然、以前よりも難しくなるように見えたり、健康、経済、職業などといった私たちの生活環境において、何らかの変化が起こるように見えたりすることもあるかもしれません。その場合、そうした難しい状況についての最初の解釈は、「私たちが別の選択をしようとするのを、自我が妨害しようとしている」というものとなることでしょう。
そして、こうした問題は、もちろん、最初は、私たちの注意をますますこの世界の中に釘付けにするという結果をもたらします。けれども、聖霊を教師とするなら、これらは、私たちが自分自身を赦すことを練習する機会にほかならないというだけでなく、私たちが何らかのレベルで自分で招き入れたものである、ということを認識できるようになってきます。
あなたの場合は、新しい経済的な問題を、欠乏感、不足、無価値さなどについてのあなた自身の信念を明るみに出すための機会と見なすことができます。あなたが自分自身についての聖霊による解釈を共有できるようになるにつれて、あなたは、そうした経済的に困難な状況について別の解釈を受け入れ始めることができるようになっていきます。あなたの罪悪感が手放されていくにつれて、外的環境は単に対処すべき状況にすぎないものとなり、あなたに対する糾弾ではなくなります。ですから、外的状況が変わるか否かは、あなた自身の心の平安とは関係のないものとなります。
さて、以上のことは、時間のかかるプロセスを非常に短く要約した話であり、特に最初のうちは、あなたが聖霊による解釈を受け入れることに対して強い抵抗を感じるということがあるかもしれません。けれども、だからこそイエスは、『奇跡講座』の中で、〈赦し〉というものを、時間をかけて練習する必要のあるプロセスとして提示しているのです。